シエラレオネという国から、彼は来ていた。たったひとりで、遠い日本へ。
小山朋宏 著
出版予定
日本人からみるとかなりいい加減だけど、やさしい人々。素朴な暮らし。
魅力いっぱいのアフリカでの経験を、ありのままに記したエッセイ。
●アフリカン・グラフィティー●
4畳半に住んでたアフリカ人
アフリカ大陸の地図を見ると、上半分の大西洋沿岸部がなんとなく人の顔に似ている。
モーリタニアの首都ヌアクショットを示す丸印が、目。海に突き出したセネガルのダカールが、鼻。
そのまま海岸線をもう少し下ると、“顔”の口元のあたりに、シエラレオネという小さな国がある。
彼はそこから来ていた。
以前からこの国の名に、なぜかわからないけどとても惹かれていた。“シエラレオネ”。音の響きがいい。
物の本によれば、15世紀にポルトガル人がこの地を初めて訪れたとき、山に轟くライオンの声のような雷鳴を聞いて、
「ライオン山地- Serra Lyoa」と名付けたのがその由来らしい。
首都はフリータウン。1787年に、解放奴隷のための入植地として建設された町だという。1808年にイギリスの直轄植民地となり、現在のシエラレオネにあたる残りの領域は1896年にイギリス保護領となった。英連邦に加わる形で独立したのが1961年。
以降今日までの歴史を辿って見ると、これがもう、頭がこんがらがってしまうくらいに指導者の亡命やクーデターが繰り返されてきた国だ。
ダイヤモンドや鉱石が豊富なほか、カカオやコーヒー、ヤシなどの農産物輸出も行われているのだが、世界市場の不況により低迷。
日本はこの国からイカやエビなどを輸入し、自動車や鉄鋼板などを輸出しているらしい。
食料援助ほか政府のプロジェクトも実施されている。
とまあ、日本の出版物で調べられるのはこのくらいのところだろうか。日本に在外公館もない。馴染み薄いよなあ・・。ここから日本に来る人なんて、いないんだろうなあ。遠いもんなあ。
なんて思ってたら、「ひとり知ってる」という人がいた。外交官でもなければ交換留学生でもなく、
まったくの単身でやってきて住み着いているというのである。
とても興味が沸いた。会ってみたくなった。
「会ってくれませんか」と聞いたら、「会いましょう」と言ってくれた。で、都内にある彼のアパートを訪ねた。
95年の春先のことである。
降りる駅をひとつ間違え道に迷って電話をかけた僕に、彼はおどろくほど流暢な日本語で言った。
「ああ、そっちに行っちゃったの?じゃあ、その道をまっすぐ歩いてきて。そこからなら10分くらいだから。
駅の前で待っててあげますよ」
駅前で僕を迎えてくれた彼の背の高さに、僕は少々圧倒された。180cmはあるだろうか。
日本人が身に着ければどう考えても趣味の悪い黒皮のジャケットとパンツが、
長身で見事にお尻の引き締まった彼には良く似合っていた。すっきりと鼻筋の通った精悍な顔立ちは、
さぞ日本のお姉サマたちにもてるだろう。
「土曜の夜には六本木あたりで楽しくやってる?」
アパートに向かう途中、思わず皮肉混じりの質問を向けてしまった。
「そうでもないよ。仕事が忙しい」
ふーん。意外だね・・。
通りの向こうから、タンクトップ姿のセクシー系お姉さんが歩いてきた。
すれ違ってから、僕と彼はほぼ同時に振り向いた。お姉さんも、振り向いてこっちを見ていた。
いや、こっちじゃなくて、彼のことを見ていた。
彼は僕に顔を向けて、いたずらっぽく笑った。歯が真っ白で美しかった。
ザイールに生まれ、ギニアとガンビアで育った25歳の彼は、東京の木造モルタルアパートの4畳半で一生懸命暮らしていた。
ガンビアでアラビア語教育の高校を卒業した後、英語と貿易を学ぶために親元を離れてシエラレオネに移ったのだという。
5年制の学校に入学したものの、国内情勢は悪く、2年目には教員のストで授業も中断された。
待てど暮らせど授業再開の見込みは立たず、再度別の国に渡って自分なりの勉強を続けようと決心したのだという。
で、90年の初めに日本に来た。でも、なんで日本だったんだろう。
「僕はアフリカで、日本から輸入されてくる自動車とか家電製品をたくさん見て育ったんですよ。
高い技術を持った日本という国に、すごく興味があった。
それとね、僕の父親はギニアで貿易会社を経営していて、ヨーロッパとかアメリカにダイヤモンドを輸出してるんです。
その市場としても、日本に関心があったわけ」
言葉の途中に「あのお・・」とか「うー・・」とか挟むことなく、すらすら日本語で話す。
発音もほぼ完璧と言っていい。独学と個人授業で覚えたのだという。
「学生のステータスで来ていないので、学校には通えない。貿易ビサで来てるんですよ。
最初はすごく不安でした。日本人はみんな英語を話せるものだと思ってたんだけど、来てみると言葉がぜんぜん通じない。
ひとつ救いだったのは、以前にギニアの友人が埼玉の“外人ハウス”に滞在した話を聞いていたこと。
住居を決めないことには何も始まらないので、とにかくそこに行ってみたんです」
メモしておいた住所を頼りにやっとの思いでたどり着いた“外人ハウス”の前で、彼は面食らった。
テレビ局のレポーターたちが、出稼ぎ外国人の取材に来ていたのである。
80年代の終わり頃から、バブルに沸く日本に次から次から外国人がやってきていた。
その多くはアジア諸国や南米からの出稼ぎ労働者だった。知らない人々、見慣れない人々の流入は、
日本各地ですったもんだの騒動を巻き起こしていた。
彼はそんなすったもんだを意にも介さず、西アフリカからひょっこり日本にやって来て、あっけらかんと日本で暮らし始めたのだった。
「人だかりができていてね。何だろうと思って近寄ったら、どこからきたの?何しにきたの?って、マイクを向けられた。なんでそんなこと聞くのかわからないまま、インタビューに答えましたよ」
最初の一年間はその“外人ハウス”に住んだ。食うためには金が要るので、鉄筋工、機械の組み立て、墓石切りと、どんな仕事も厭わずやった。
「今は東京の建築現場で仕事してます」
給料を聞いたけど、教えてくれなかった。
出稼ぎに来たわけじゃないんだ、と彼は言う。
「雨の日は仕事が休みだから、貿易の営業活動をするんです。デパートの売り場に行って支配人に会わせてもらったり、宝石店を訪ねたりね。でも難しい」
そりゃあ、難しかろう。あなたのような人は、ふつうの日本人にとっては珍しすぎる。
日本の人たちが日常目にする「日本に住むアフリカ人」は、テレビのお笑い番組に出てるタレントか、繁華街で怪しげなビラを配ってるお兄さんたちくらいなのだよ、残念ながら。
「僕は珍しがられるのは別に嫌じゃない。僕が電車に乗ると両隣に人が座らないけど、何でも悪く考えてしまうのは良くないと思う。
だって、見たことないものを初めて見れば、誰でも戸惑うでしょ。だから仕方ない」
諦めの口調ではなかった。なげやりでもなかった。ほんとうに、あっけらかんとしていた。
「ビジネスがうまくいけば、ずっと日本にいたいよ」
ギニア、ガンビア、シエラレオネと、彼の生い立ちを訪ねるといろんな国の名前が出てきてややこしいのだけど、
アフリカではちっとも珍しくないことだ。不安定な政情と深刻な経済状況のなかで生き続けるために、
時にそれを望んで、時に不本意に、あちらの国へこちらの国へと人々が移り住む。
そしてなかには、西の端から東の果ての日本まで、海を越えて一気に飛んで来てしまう人もいる。彼もそのひとりだ。
そして彼はここで、フツーの日本人と欧米から来る外国人とは違うやり方で、がむしゃらに生きているのだと思った。
あれから10年が過ぎた。ビジネスは成功したのだろうか。彼を知る人に「今、彼はどうしてるの」と尋ねたら、
「もうアフリカに戻った」と言う。シエラレオネに戻ったのだろうか。それとも親の住むギニアに帰ったのだろうか。
訪ねて行ってもう一度会ってみたいけど、そうそう容易ではなさそうだ...。
シエラレオネに対する渡航情報(危険情報)の発出(2006/12/13)
(2007年4月17日 外務省「海外安全ホームページ」より)
●北部州(カンビア県及びポート・ロコ県を除く)、東部州及び南部州
:「渡航の是非を検討してください。」(引き下げ)
●西部地区(フリータウンを除く)、カンビア県及びポト・ロコ県
:「渡航の是非を検討してください。」(継続)
●フリータウン
:「十分注意してください。」(継続)
もっとフツーにお互いの国を行き来できる日が、いつか来るといい。
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